再びパクリについて考えた。①
籐の手提げや小物を作って売っています。
始めて4年くらいになりました。
◆ ◆ ◆
以前、「パクられたみたいです。」で始まる記事を書きました。
1年半ほど前のことです。
「怒っているわけではありません。」とも書きました。
でもそういうわりにはずいぶんグダグダとして見苦しかったので、のちに削除しました。
ですがここへきて、やっぱり書いておいた方がよかったと思う出来事に直面したので、今度はできるだけまとめて今の考えを書いてみたいと思います。
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かごにパクリなんてあるのかと思われると思います。
確かにかごと著作権というものは、あまり相容れないものなんだろうなと思います。
世界中どこでも同じようなかごが作られてきたからです。
かごが単なる実用品だったこととも関係があります。
現在でも、たとえば数年前から流行しているジェーンバーキン風のかごバッグ、数万円のブランド物から2、3千円のものまでありましたけど形としてはどれもほぼ同じですし、昔から作られてきた伝統的なかごのデザインともほぼ同じです。
かごとはそういうものです。(でした。)
日本の竹工芸でも、名前のついた編み方の伝統的なかごがたくさんあって、多少のバリエーションがあるものの多くの人が同じようなものを作っています。
◆ ◆ ◆
ただそれはそれとして、私はほかにないものを作りたいと思ってかごを作っています。(今作っている人の多くがそうだと思います。)
すでにこの世に存在しているのと同じものをそのまま作って売ろうという気持ちは最初からありませんでした。
それが売れるとは思えなかったということもあるし、何よりそれではつまらないと思いました。
自分で作ったお店に自分で作ったものを並べるという時に、全てを自分で考えて決めていいのに、なぜどこかにあるものを、と思います。
おりしも世の中に、籐の「丸芯」を使った新しいデザインというものはあまりありませんでした。
昭和の買い物かごの時代はとっくに終わり、籐工芸教室で教えてくれるのは昔流行った籐工芸の雰囲気そのままだと私には思えました。
なので、「そういうものではないもの」「でも素敵なもの」を目指して作りました。
編み方や柄、編み始めや編み終わり、持ち手の付け方などなど、技法に関して自分で発明したものはほとんどありません。
でもそれらの組み合わせ方、形、バランスのとり方、などなどを自分で考えて、新鮮なものを作り出したいと思っています。
私には不思議にも思える籐工芸特有のデザインの傾向にはとらわれず、自分にできるものを作ってみたら、ただただ四角いかごになっていたのですが、角のジャストの位置に持ち手をつけたその形は、どうやらこの世にあまりないもののようでした。
ひとつ完成したら、それをふまえて次。
四角ができたら次は少し角度のついたものや六角、八角、・・・(あえて単純な図形ばかりです。)そして同時にすでに発表したものをさらによくする検討。
進めていくうちにだんだんと、自分が作る意味というのが意識されるようになりました。価値というか。
自分のラインナップ全体の構成もデザインのうちだなと。
バスケタルらしさという、雰囲気。
(その辺のことは当ブログの「自分の作業」カテゴリーに延々綴っています。)
大げさですがそういうことなので、昔のもの、今あるものを良く知ることも必要だし、何をどうしていくかの試行錯誤ばかりの暮らしが続いています。
◆ ◆ ◆
現在かご編み活動をしている人々にとって、考える基になる歴史とか使う技法は先人から引き継いだものだから、作るものがそれぞれものすごく違うものになることはないし、試行錯誤途中のものを取り出してみたら、誰かの作ったものと私の作ったものが似ていることもありえます。
(こういう記事を書くからには、誰かを傷つけることはないように普通以上に気を配らないととも思いますが。)
でも前述のように試行錯誤の積み重ねの全体、その流れ全体が作り手としてのオリジナリティーなのであって、ほかの誰かの流れが私の流れと近寄ったり交わったりすることはありうるというか当たり前というか、むしろリスペクトしあっていれば歓迎すべきことでもあると思います。(焦りや複雑な思いももちろんあるけれど。)
そして、そういう流れを持たずにいきなり私の流れの中の一瞬を切り取って似たものを作った人がいたとしたら、もっと言えばそれが「スペック丸パクリ」でも、悪質でない限り一瞬のことだから気にやむこともないし、問題ない。
で、「怒ってないんです。」、となったんです。
アホみたいな言い方になりますが、私の製作活動は全く儲からないし若くもないのに必死の全力疾走、でもメチャメチャ楽しく、そして、真剣です。
だから多分、そんなプライドを持ってそういう言葉を発したわけですが、そんなことは求められていないということも多々あるわけでして・・・
◆ ◆ ◆
私のかごとほぼ同じスペックのかごを作ってしまって私に書かれてしまったそのお店も、悪気なく、「世の中によくあるようなかごを、また同じように作る」というごく普通の感覚で作られたのだろうなとは思っていました。
どこなのか特定できないように書きましたが、実は作り手と思われる方からメッセージをいただきまして、やはりそういうことだったという内容でした。
削除した記事も、この記事前半で書いたようなかご作りのオリジナリティーの問題について書いたつもりではいても私のこの文体ですし、やはりかなりキツい感じを受けられたかも知れません。
特殊ともいえるスタイルでやっている私にたまたま関わってしまって、いわば貰い事故の被害者はその方の方なのだとも言えます。
申し訳ないことです。
◆ ◆ ◆
でもその後、そういう、本当に悪気なくという例、よく起こるのかも知れないなと思っていましたが、そうでもありませんでした。
考えれば、たとえ丸写しであったとしても今まで作ったことのないタイプのかごをきちんと完成させるのはそんなに簡単なことではないので、そこまで頑張る人ならあえてパクりと思われるようなものは作らないんじゃないかという気もします。
それは今のところ、そう間違ってなさそうでもあります。
でも、ですね・・・
というところで、次の記事です。
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