「柳行李」は昔、うちにもありました。
豊岡杞柳細工の「たくみ工芸」さんは、材料となるコリヤナギの栽培から製作、加工まで一貫して行う国内唯一のメーカーなのだそうです。
写真の立派な行李は税込み132,000円。
うちにあったような庶民的な行李とは細工の質がちがうのだと思われます。
うちのは日に焼けた畳みたいな編地に深緑色の生地の縁がついていました。
柳行李は、丈夫で軽く、吸湿性・防虫効果があり、汚れたら洗うこともできるそうです。
そもそも柔らかくて、詰め込むこともできるし蓋が盛り上がった状態でもいけるし少々荒っぽく扱ったって平気な感じです。
どこのうちにもある、ほんとに庶民の「収納」雑貨だったんでしょうね。
引っ越すときはそのまま大八車につんで・・とか。
たくみ工芸のある兵庫県豊岡には古くから柳細工の伝統があって、その柳細工について「古事記」に記載があったり「正倉院」に柳かごが上納されたりしているそうです。
江戸時代が柳行李の生産の最盛期で、その後、行李を革バンドでバッグの形にしたものが「行李鞄」で、柳以外の素材で発展していく「豊岡鞄」のはじまりなのだそうです。
私が育ったのは昭和のサラリーマン家庭でした。
生まれてすぐから団地に住んでいました。本社のあるところから転勤で引っ越していった先の工業地帯に近い地方都市の社宅ぐらし。
4階建ての鉄筋コンクリート造のアパート2棟が建つのは、階段でのぼっていく小高い丘の上で、そこに住む人は同じ会社に勤めているというだけでなく世代的にも近い人達だったなと今振り返ると思います。
農業に触れる機会は全くありません。そのころ遊んだりしていた町の景色、うちのまわり、うちから学校まで、うちから駅まで、小学校高学年になってからは自転車で走り回ったあたりの景色も含め、畑や田んぼは浮かんできません。
雑木林や謎の空き地、誰の所有なのか何なのかわからないような土地はたくさんあったように思いますが。
そんな暮らしの中で、なにか「かご」を使っていたかというと、・・・。
「竹ざる」は使っていたと思います。それから母の趣味で買った、インテリア雑貨的なものはあったかも知れない。
で、ほかに思いつくのはやっぱり「柳行李」くらいです。
それも、このあいだの引っ越しの際に捨ててしまって、もう多分ないのではないかなと思います。
うちにさえあった柳行李。
日本中でどんどんプラスチックの衣装ケースに置き換わっていったのですね。
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